--------- August.18.2020 / Blog ----------

戦後75年に思いを馳せて

第二次世界大戦。

人間が人間として、扱われなかった時代。

戦争時代なんて、怖くて知りたくない、過去の事だから知る必要がない。
と目を背ける人が多くいます。

しかし、今を生きる私たちは、

その私たちが生きる今、そして目指す夢、未来がある影に、

数えきれない程の犠牲になったものの存在を絶対に忘れてはいけないと思います。

 

戦時中も、現代も、どの時代においても、
”死” と ”生” は、常に背中合わせです。

”死” について考え、向き合うということは、
”生”について考え、向き合うということ。

死生観は、人それぞれ。

 

例えば、神風特別攻撃隊の方々。

特攻を喜んで選んだ方もいたかもしれませんが、大半の方はその道を選ぶしか選択肢がなかった。

残された時間の中で、確実に迫りくる死をどう受け入れればよいのか。

いえ、死が迫るのではなく、自分から死に向かって行かなければなりませんでした。

10代の子供達が、その絶望しか残されていない人生の淵で、葛藤していたことを思うと、

「戦争」というものに憎しみしか湧いてきません。

現代の人は、彼らの心境、状況を、遺書等から様々な憶測で容易に決めつけます。
誰にも、彼らの苦しみを理解することなんて、出来ません。
遺書だけで、その方々の全てを知りうることは出来ません。
理解しようとすることでさえ、侮辱的なことだと感じます。

 

現代であれば、
自殺を選ぶ人がいたり、追い詰められ、死にたくないけど生きるのが怖くて、ただ消えたくて、でも死ぬのも怖くて。
その生と死の狭間で葛藤を繰り返す方がいたり。

”死”なんて全く考えた事がない方だっていたり。
ましてや、”生きる”とはなにか、なんて考えた事さえない方もいますね。

人それぞれなのです。

 

人々は、
特攻された若者たちをテロリスト呼ばわりしたり、
戦争で自害した方々を洗脳された狂った人々呼ばわりしてみたり、
自殺された方に対して、許さない、弱い心を持った人間だと言ってみたり、
遺された人の苦しみや悲しみはどうしてくれるのか、人のことを考えれない酷い人と言ってみたり。

散々言います。

自分の”命の在り方”を語る権利も、選択もその本人にしかありません。
戦時を生きた方々は、選択肢さえありませんでした。

自分以外の人の”死” や ”生” に関して、あれこれ言うべきではありません。
自分の命の在り方や選択を他人に委ねることは出来ません。

あるべきものは、

「自分は、どう生きるか」

究極は、

「自分は、どう死ぬか」

自分は、どのような”生き様”にするのか。それが最後の瞬間 ”死に様” を生みます。

 

特攻された若い命も、自殺された方々も、自身の中で、「生と死」と苦しいほど、哀しいほど向き合ったのではないでしょうか。

その人が、その後どのような思いで旅立たれたか、他人に知る余地はありません。
その人の靴を履いて歩き回ってみなければ、 本当にその人のことは分からないのです。

戦争時代を生きた方々は、自らを投げ出し、犠牲となり次世代を作りだしてくださいました。
それから目をそらすような事はしてはいけません。

 

現代では、

「今日出来なければ、明日がある。」
「明日も出来なければ、明後日にすればいい。」
「ま、いつかすればいいか。」

このように毎日を過ごす人が多く、このような考え方の人には、常に死と隣り合わせで生きてきた人の気持ちも思いも理解する事は不可能でしょう。

自分の目で何も調べず学ばず、自分の頭で考えず、
TVで言っている事だけを真に受け、全て知っているつもりで
軽率に歴史や、人の生き様に口を出すべきではないと感じます。

 

生き方は、人それぞれ。
死の受け入れ方も、死に方も、人それぞれ。

語るべきは、自分の、生き様。
考えるべきは、自分の、死に様。

自分は、自分自身にそれを問うべきだと思います。

 

私たちは、とても有難く、昔とは違い、明日を迎えられるチャンスが大きいですね。
明日が絶望でしかない時代ではなく、明日に希望を抱ける時代です。

しかし、明日は誰にも約束されていない。

自分は、”今”をどう感じ、どう生きるか。
どんな状況でも、どのような自分でいるか。

それを考えながら生きる事が大切ではないでしょうか。

 

戦後75年。
日本はどのような変化を遂げれたのでしょうか。

日本の未来が豊かであるようにと望みながら亡くなられた方々の遺志を、しっかり継げれているでしょうか。

戦争に負け、高度経済成長を遂げ、社会は豊かになった。果たして、そうなのでしょうか。

私たちは、物質消費社会に埋もれ、西洋のマネごとばかりをして、
愛国心を持つことを疎い、
自ら本質を歪めていないでしょうか。

自覚症状もなく、道徳心を失い、大切な事を忘れていく社会が形成されてしまいました。

ものは豊かになりましたが、心はどうなのでしょうか。

日本がどうなろうと、どうでもいい。
戦争で何万人もの人が死んだ、それがどうした。
コロナで多くの人が死んでいっている、それがどうした。
自分には関係ない、他人なんてどうでもいい。
自分が無事なら、自分が幸せなら、それでいい。

そのように、多くの人が、心を失ってしまっているように感じます。

 

歴史の上にある多くの犠牲、過ちから、私たちが学ぶことが沢山あります。
必ず、次世代へとこの歴史や経験を伝えていき、同じ過ちを未来で決してさせないようにしなければいけない義務があると感じます。

自分が人生の岐路でどんな決断をしようとも、後悔をしない覚悟と強い意思を持って、生きよう。

愚かな歴史と沢山の犠牲の上に生かして頂いている自分は、
その上でしっかり地に足をつけ、哀しい歴史を忘れず、犠牲となった方々の遺志を継ぎ、
それでも光を目指してしっかり歩んでいきたい。

平和への深い決意を失わず、日本人として自覚を持ち、次世代へ繋げていきたいと思います。

戦争を日本から無くす為に犠牲になられた方々のご冥福と感謝の意を込めて、
今度は、世界から戦争を無くす為に、一個人の日本人として出来る事をしていきたい。

そう、75年前に思いを馳せて。

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